大阪から山口へと移住し、自然の中で過ごすようになってから3年目。
52歳にして新たな道を歩み始めた私が、日々の暮らしの中で感じている「自然の癒し」や「心と体の変化」について、今回はじっくりと綴ってみたいと思います。
四季の変化が教えてくれる、小さな感動
かつて都会にいた頃、春は桜、夏は蝉、秋は紅葉、冬はコタツ。
そんな「カレンダー的」な季節感の中で暮らしていました。
今では、季節の移ろいを五感で感じるようになりました。
春は草木が芽吹き、小動物の姿からその訪れを知ります。夏が近づけばカエルの合唱、カブトムシやクワガタムシの登場。蝉の鳴き声の変化に気づき、蜩の声に秋を感じる。冬は肌に感じる空気の冷たさや霜のきらめきで自然と分かります。まるで、子ども時代に感じていたような「本当の季節」が戻ってきたようです。
鴉の鳴く夕焼けと、満天の星空
夕暮れ時、鴉の鳴き声が響くと、ふと童心に返る瞬間があります。
泥んこになって遊んでいた頃の記憶がよみがえり、ただ立ち尽くして黄昏れる。そんなひとときがたまらなく愛おしいのです。
そして、夜には満天の星空。
街では見上げることすら忘れていた空。ここでは月の美しさに感動したり、流れ星を見つけたりするたび、自然の雄大さに心を洗われるような気持ちになります。
鶏たちのしぐさに癒されて
敷地内で育てている鶏たちは、私たちの癒しの存在です。
特に、卵から孵ったヒヨコたちは格別にかわいくて。水を飲む姿、砂遊びをする仕草…すべてが愛おしい。
毎日見ていても飽きないし、卵を収穫するたびに「ありがとう」の気持ちが湧いてきます。
突然の天気の変化に驚く姿もまた可愛らしくて。「鶏なのに、豆鉄砲をくらったような顔をするんですよ(笑)」
家庭菜園の苦労と楽しみ
家庭菜園では、ミニトマト・ナス・キュウリ・じゃがいも・さつまいもなど、色々な野菜に挑戦しています。
ズブの素人なので失敗も多いですが、それもまた面白い。春に種をまきながら、夏の収穫を楽しみに待つ——それだけで心が前向きになります。
いびつな形でも、自分で育てた野菜を食卓に並べると、どんな料理よりも輝いて見えます。
山の天気は気まぐれ。でも、それにも慣れてきた
山の中で暮らしていると、天気の急変に驚かされることもしばしば。「さっきまで晴れてたのに、いきなり土砂降り⁉︎」なんてことも。でも、それが当たり前になってくるのが田舎の不思議。
3年目に入って、私たち夫婦も少しずつ慣れてきました。
ジビエとの出会い:猟師さんからの贈り物
移住して驚いたことのひとつに、「近所の猟師さんからイノシシ肉をいただく」なんてことも。
人生初のジビエでしたが、これがまた驚くほど美味しい。臭みもなく、血抜き処理が上手なのだと思います。
「まるで日本昔ばなしの世界みたいだなあ」と思いながら、ありがたくいただきました。
気がつけば、体もスッキリしていた
ウォーキングもしていない、車での移動が多くなった。
なのに、いつの間にか体重が落ちていたんです。大阪に帰った時、知人たちに「痩せたなぁ」と言われました。
理由は…たぶん、草刈りや農作業のおかげ。
自然の中で体を動かしているうちに、気づかないうちに体が整ってきたのかもしれません。
夫婦での時間が自然と増えていく
妻は運転免許がないので、移動は常に一緒。
買い物も、地元の行事も、自然と夫婦で出かけることが多くなりました。
都会にいた頃はすれ違いも多かったけれど、今では同じ時間を過ごすことが日常になっています。
おわりに
田舎での暮らしは、決して楽なことばかりではありません。
でもその中に、何気ない癒しや、小さな感動がたくさん詰まっています。
自然とともに生きるということは、時に不便でも、心と体を「整えてくれる」時間でもあります。
これからも、この小さな山の暮らしから見えること、感じたことを皆さんに伝えていけたらと思います。
田舎暮らしに興味のある方は、ぜひこのブログで一緒に、”もうひとつの人生”を見つけてください。
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